僕がIDEOに入って驚いたことは沢山ある。みんなが17時にはあっという間に帰宅してしまうことや、ワインを片手に作業することなど、いわゆる外資の洗礼みたいなことも多い中で、特に驚いたのが、IDEOという会社が教育にかける想いの強さである。
IDEOには、学校や企業向けの研修を積極的に行っていたり、創業者デイヴィッド・ケリーを始めとする多くのメンバーが教育機関で教鞭をとっていたりと、ド直球の教育的な取り組みも沢山ある。だが実は、そもそもIDEOが本業として行っているクライアントワーク自体がかなり教育的要素が強いのだ。
もちろん、どの案件も最終的にはデザイン会社として、プロダクトなりサービスなり空間設計なりのデザインに落とし込み納品するのだが、そのプロセス自体も同等な納品物として捉えており、我々が日々行っているデザイン思考をベースに制作の過程を少しでもクライアントチームに体験・理解してもらいたいという想いが非常に強い。
そのため、クライアントのコアチームにはなるべくデザイン・リサーチやブレストに参加してもらうし、エンジニアリングチームを持つクライアントであれば、プロトタイピングも僕達と一緒になって、まるで競い合うかのようにスピード感を持って作ることもある。結果そうした方が、プロジェクト終了後にクライアントチームがしっかりとそのプロジェクトを引き継げる、また組織内のプロジェクトへの理解が浸透しやすい、といったコンサルティングとしての意図も当然ある。だが、それにしてもやり過ぎなのでは、と思うくらい、クライアントチームを巻き込むことへの努力とコストを惜しまないのである。
特に我々東京スタジオにおいては、これが顕著である。つまり、デザインを納品することと、そのデザインに行き着く制作過程にどっぷり浸ってもらうことが、同等の価値を持つと考えられている。まるでモノ作りを行うデザイナーとしての自分と、デザイン思考を伝える教育者としての自分、その両者を常にどのプロジェクトでも求められているような感じだ。
かくいう私も、何かを作ることと同じくらい(もしくはそれ以上に)、作る楽しさとその社会的意義を少しでも多くの人に広めたいという想いを持ってIDEOに転職してきたので、こうした文化が組織の隅々まで浸透していることを誇らしくなったことが何度もある。(そもそも、最終面接で最後に僕から「皆さんの理想のプロジェクトは?」と聞いた際に、同席していた3名のデザイナーがが口を揃えて「学校をつくりたい」と言っていたことが入社の決定打となったので、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。)そして、そんなIDEOのデザインと教育の両者への想いの交差点に鎮座しているのが、d.campである。
d.campとは、もともとシリコンバレーの創業スタジオで始まった取り組みで、中高生を相手にデザイン思考を体験してもらうサマーキャンプである。3年前から東京スタジオでも実施されるようになり、去年と今年はコロナウイルスの影響で完全オンラインで行った。スタジオによってオペレーションは異なり、有料で開催しているところもあれば、東京スタジオのように今の所無料で実施しているところもあるが、概ね5日間のサマーキャンプ形式である点は統一されている。
国内の中高でもデザイン思考が登場することは増えてきたが、微分積分やフレミングの法則と同じような感覚で「単元」として捉えられてる節がある。そうではなく、己の手で作り上げたもので周囲の誰かを少しでも幸せにする「体験」としてデザインを体感してもらうことが、より一層不確実性を増す今後の社会を生き抜く世代に不可欠なように思う。
デザイナーがデザインを教える
東京スタジオのd.campでは、毎朝ちょっと変わったエクササイズから始まる。即興演劇を行ったり、ひたすら落書きをしてみたり、といったいわゆるアイスブレイクのようなものから、実際に一片15cmの氷の立方体を「アイス・ブレイク」してみたり、Google Slideを使ってチームでZoom背景を共同で作ってみたり、といったクリエイティブなアクティビティもある。それが終わると、IDEOの数多のデザイナーが自分の専門分野についての簡単なワークショップを行う、「クラフト・モジュール」が行われる。午後は、5日間を通してデザイン思考を使って挑んでいく 、「デザイン・チャレンジ」を進める時間だ。リサーチ、シンセシス、問い立て、アイディア出し、プロトタイピング、ユーザーフィードバック、といったプロセスを、行ったり来たりしながら、チームで進めていく。その途中で、現役のIDEOのデザイナーたちと少人数でのコーヒーブレイクがあったり、共同経営者のトム・ケリーによる人生相談タイムがあったりもする。
盛り沢山なコンテンツで、一日中頭をいろんな方向に切り替えるように設計してあるが、根底として絶対にブレないのは、デザイナーがデザインを教える、という構図である。当たり前なようで、意外と珍しいことでもあるのだが、各分野のプロがその分野について教えることが、d.campの大事な価値の一つだ。最近作っているものの紹介や、実際にプロジェクトで苦労したこと、それを乗り越えて出てきたプロトタイプ等、プロフェッショナルが試行錯誤した実例はとてつもなく贅沢であり、信ぴょう性がある。
更には、ビジュアル・コミュニケーション・デザイン担当のデザイナーが実はその年のd.camp自体のブランディングを行っていたり、それまでキャンプで使っていたツールが実はインタラクション・デザイン担当のデザイナーが自作したものであったことを知らされたりすることで、制作物と製作者の距離がぐっと近付く。
そして何よりも、「これなら自分でもできるかも」、と思ってもらえる。言うまでもなく、デザイナー一人ひとりも普通のいち人間であり、悩むこともあれば、つまずくこともある。そして、培ってきたスキルも、これまで経験してきたことの積み重ねにすぎない。そうしたIDEOメンバーの人間くさい思考や実験を知り、体験してもらうことで、「何かを作り出すという行為は、思っていたほど遠いものではないのかもしれない」と知ってもらいたい。そもそも、日常的に無自覚にデザインを行っている人たちは沢山いる。現CEOのサンディ・スパイカーは「既に自分達は日々デザインを行っていたのだと気付いてもらうことが大事だ」と言っているが、まさに自覚するだけで、自分のクリエイティビティに対する理解と自信が強化され、より自由に毎日が過ごせるようになる。
デザインする力は、スーパーパワーである
なぜそこまでデザインする力を身近に感じてもらいたいかというと、デザインする力は、スーパーパワーであるからだ。まず、何かを作れるようになると、その必然的な結果として、世界のあらゆるものごとに対して、「自分だったらこう作るのに」と考えるようになる。
そうした「目」で世界を見れるようになるだけで、いかに世の中が完璧からは程遠いかということに気付き、その改善案を常に頭の中で模索し続けるようになる。
どうしてこの家はここに段差を作ってしまったのだろうか、どうしてこの機械はこんなところにボタンを配置したのだろうか。
数あるスティーブ・ジョブスの名言の中でも、 ”Life can be much broader once you discover one simple fact. And that is: Everything around you that you call life was made up by people that were no smarter than you.” (とある事実に気付いた時、人生の可能性は更に開ける。その事実とは、あなたが世界と呼んでるものが、あなたより賢いわけではない同じような人々が作り上げたものである、ということだ。) という言葉があるが、まさにこの「目」(モノやコトは自分の手で変えられる、作れるという捉え方) についてのことだ。
少なくとも僕は、デザインを学び、自分でアイディアを考え、プロトタイプし、木工、鉄工、電子工作、プログラミング等をするようになってから、この事実にハッと気付くことができた。そしてそれに気付いてからは、”you’ll never be the same again (もう元には戻れない)”。
もう一つのデザインのスーパーパワーが、それを周りの大切な人たちへと還元できることである。IDEOのメンバーの多くは、何か新しいモノやツールが必要になったときに、まず最初に、自分でどう作れるだろう?と考える。
かくいう僕も、家にキッチンカウンターが必要だったので作ったし、コロナの手洗いがしんどくなってきたのでそれを楽しくするべくGoogle Assistant用の手洗いDJアプリ(手洗いをしている20秒間に当てはまる曲を自動で選曲してくれる)を作ったし、オンラインで行うワークショップにどうにかして手触り感を戻したく、遠隔ハイタッチシステムを作った。何かを作り出せるようになると、自分や、自分の大切な人たちの困りごとが、自分の手によって少しだけでも良い方向に変化を起こせるかもしれない、という希望に変わる。かくして、デザインという力を手に入れた人は、スーパーパワーを手に入れるのである。
総クリエイティブ・コンフィデンス時代を目指して
このスーパーパワーは、心理学の用語ではSelf Efficacy(自己効力感)であり、それをデイヴィッド&トム・ケリー 兄弟がIDEO流に翻訳した結果が、クリエイティブ・コンフィデンス(創造性に対する自信)である。おそらくIDEOに限らず、モノづくりに携わる全ての人たちが、このクリエイティブ・コンフィデンスを自覚した瞬間があるはずだ。そして、僕たち自身も、まだこのクリエイティブ・コンフィデンスを拡張していく長い旅路の真っ只中にあるように思う。
自分の周囲10mの範囲内の困りごとに対して何かポジティブな変化を起こせると気付いた人は、次に周囲100m、1km、100kmと、自分が変化を起こす範囲を少しずつ広げていくことができる。その過程で、一人でできることの限界を知り、今度は仲間と一緒に、より大きな課題へとぶつかっていくようになる。結果として、新しい電化製品、自転車、医療器具、学校、政策など、より規模の大きいデザインを行っていくことができる。
d.campにこれまで参加したキャンパーたちは、(知ってか知らずか)この果てしないクリエイティブ・コンフィデンスの旅路の一歩目を踏んでもらっているのである。
VUCAと呼ばれるこの時代、更にはパンデミックの先行きが未だに見えない中では、このクリエイティブ・コンフィデンスを華麗に使いこなし、主体的に動ける人たちが一人でも多く必要である。その一歩目を踏み出すことをサポートし、かつそれがいかに楽しくて素晴らしいことであるかを知ってもらうことが、d.campの目的であり、ひいてはIDEOという組織の隠れミッションであるように思う。